自粛疲れという矛盾

みなさん、こんにちは

 

やむをえず、仕方なく

 

自粛が続いています。

 

みなさん、ありがとうございます。

 

今日、ふと思ったのです

 

テレビ等で使われている

 

『自粛疲れ』

 

この表現、矛盾しているのかもと。

 

自粛という言葉を辞典などで調べると

 自分で自分の行いをつつしむこと、という意味で出てきます。

 

つつしむというのは能動的、自分からするということです。

 

上記のような表現に疲れを足して、

自粛疲れを改めて解釈すると

自分で自分の行いをつつしむという能動的な行為で疲れる

となります。

 

みなさんは、能動的にするということで疲れますか?

自分から~したいということで疲れますか?

 

その疲れは、良い意味ですか?悪い意味ですか?

 

視点を変えます。

 

自粛疲れという表現はなぜ広められたのか?

 

考えられる理由として私は

・文字数が少ない

・誰かを責める材料

・個々人のせいにできる

 

・文字数が少ない

 自粛疲れは4文字の言葉です。

 ニューステロップ、新聞では文字が少なくて済みます。

 少なくて済む以上に様々な表現を含ませています。

 自分たちの労力が少なく、かつ、相手に多くの情報を与える

 ステキな言葉です。

 

・誰かを責める材料

 自粛疲れで根を上げることは外出、特に自分勝手な外出です。

 みんなが~してるのに、あなたは~してる

 自分のせいじゃないから、遠慮なく言いたい放題で来ます。

 

・個々人のせいにできる

 誰かを責める材料とからみます。

 『自粛』は自分で自分の行いをつつしむことです。

 個々人で行えることなので、行動すべてが個々人のせいです。

 ニュースなどの報道で取り上げられるのはすべて個々人がしてること

 私たちはそう人を対象にして取り上げますよ、取材しますよというように

 報道する、されて私たちが知ることになります。

 

で、現在の自粛疲れ

私たちは好きでやっているわけではありません。

 

なのに、自粛=自分で自分の行いをつつしむこと

能動的にやっているという表現で落とし込むことに

私個人として、腹が立っています。

 

自粛ではなく、コロナウイルスによる外出制限です。

 

人々の行動を制限できるための法整備や憲法がない以上

行政機関から要請、お願いで私たちは動かないという行動をしています。

 

なにが、自粛なんですか?

 

自分たちが行っている行動を振り返って、自粛できることは自粛してください。