まじめすぎてはいけないよ

みなさん、こんにちは。

 

一人暮らしは大変です。

何から何まで一人でやらな、と思ってしまうからです。

 

また、一人でやることにおいて

あなたが実家で暮らしていた時の

こだわりというものが

悪い意味で時間をそぎ、効率を悪くしてしまうことだってあるのです。

 

でも、こだわりというものはそうそう捨てられるものではありません。

否定することは自分自身を否定することにつながります。

 

じゃぁ、どうすればよいのか?

 

一人でやることにおいてのすべてを

まじめにすることは止めた方が良いのです。

 

何事にも一生懸命にすることは

日本人的に素晴らしいことです。

ですが、

何事にもした結果

スタミナ切れ、心身の消耗につながっていくのです。

 

日々の行動、仕事においても同様なことが言えると

私は思うのです。

 

じゃぁどうすればよいのか?

 

こだわっている部分以外のことは

遊ぶ、楽しむような要素を持って行動をすればよいと

私は思うのです。

 

遊ぶ、楽しむという要素は単純に前向きな気持ちになれます。

前向きになると、心のゆとりと余裕が生まれます。

ゆとりと余裕が今までたどり着けなかったような

あなたの考えを浮かばせる一つのきっかけにもつながります。

 

遊ぶ、楽しむというような要素がないと

まじめにすることになります。

それはある種の苦行です。

宗教や武術、スポーツの世界なら否定はしません。

そういうこともして一段階大きくなれるのですから。

 

ですが、日常においての苦行は避けたいものです。

何も生まれません

何かを失うことにつながります。

ただの自己満足

見えない敵を作り出し、その敵に勝ったという

自己だけの満足になってしまうからです。

 

さて、振り返るとむなしいものですが

そうやってでもしないと行動できないのです。

 

身体に鞭を打つような感覚です。

 

自分を鼓舞するようなかんじでカッコイイと思うのでしょう。

そう思うのは自分だけです。

 

楽しそうに遊んでいるように行動すれば

心と身体が軽やかに動いていくのです。

 

~しなければならないというような

心身へのしばりが失われつつあるのです。

 

現代において、まじめというのは否定されつつありますが

肯定の意味で未だ根強く残っています。

そのような価値観、2020年代はまだまだ残ると思います。

人が変われば時代が変わります。

時代を作る人が変わるには10年単位かかります。

 

だからといって腐らないでください。

時代を作る側で慕われ、尊敬される人になるためには

下準備という期間がいるのですから。