常識とは思い込み

みなさん、こんにちは。

 

私も、

あなたも

誰もが

常識を持っていると思います。

 

私の思う常識というのは

あなたが過去に得た

経験と知識で成り上がっているもの

だと。

 

なお、私の言うあなたは

私も含めます。

なぜなら、今現在の私は数分前の私とは違う人物だからです。

 

話は戻りまして

あなたが話す、表現することのほとんどは

あなたが思う常識にのっとってのことです。

 

世間が非常識と言っても

あなたが常識だとつらぬいている限り

あなたの常識なのです。

 

分かりやすい常識で言うと

『食べ物の好き嫌い』

こんなもの食べられるヤツの神経が分からない、

と思えるものはあるのでしょう。

まぁ、かくいう私も

去年の今頃まで、長芋を長芋で食べるのはそう思っていました。

短冊、とろろな形で食べるのはダメと言っていいほどでした。

 

ですが、昨年の今頃

東京へ行った際に訪れたお店で

試してみようと食べた結果

思った以上にするすると食べられたので

ダメから何とかいけるに格上げされました。

 

まぁ、納豆やオクラを

普通に食べられる人間が言うのも

おかしい話ですが。

 

というように

思い込むことによってあなた自身の常識が

無意識的に出来上がるのです。

無意識的にです。

楽なものですよね。

 

楽なものだからこそ

厄介なのです。

厄介だからこそ、あなたの負担は回避されますが

どうしようもないことだって起こりかねません。

 

また、

常識的に考えて

という表現はとても危険です。

 

常識的

科学な世界ならともかく

人間の心理、経済、景気は

数分で明後日の方向や180度変わってしまうもの。

ちょうど1年前に想像してた今日なんて

常識であったのでしょうか?

 

常識というのは

誰が決めるんでしょうか?

まぁ、簡単に言うなら自分自身です。

 

その常識というのは何でしょうか?

 

まぁ、

常に物事に対して

意識し考えていった

結果のこと

でしょうか。

 

そのような結果を持った人間のぶつかり合いが

議論になるでしょう。

 

ただ、

そのような結果を持った人間のなれ合いが

日本中や世界を支配しているのかもしれません。

 

さて、

そのなれ合いはどのようなものでしょうか?

私たちは

案外よく見ているもの

かもしれません。

 

そのようなことについて

私に突っ込む方がいるでしょう。

 

残念ですが、

あなたの思うことが

私が思う正解なのでしょうかね。

 

あなたのことは否定しません。

あなたの持つ意見、常識に否定しているのです。

 

ですが、

ディベート、議論を大切にする世界において

日本の教育界

特に小学校においては

意見や常識を否定すること、

すなわち

相手を否定すること

ではないことを教えないのです。

 

まぁ、先生の言う事は絶対

な雰囲気では

はぐくまれないでしょうね。

 

さてさて、

私は思いこむということについては

すべて否定したい。

それでも否定しないものがあったら

それは、あなたを構成するものの根幹なのでしょう。

 

その根幹を知ることこそ

あなたが思うあなたなのです。

 

全てを疑って

疑いきれないもの

こそ、

真実味のあるもの

なのでしょうね。